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11.持論A
                                



一つの民族を根こそぎ世界から抹消しようとしたナチスドイツ。その目的の善悪はここでは度外視する。ここで問題とするのはその方法についての過ちを指摘するに留まる。何故なら、その方法の過ちを示すことこそが、言葉のありのままの姿を見出すことにほかならないからである。彼らのユダヤ狩りは神の名においてなされた。しかしキリスト教においても、ユダヤ教のテキストである旧約聖書は共有しているのである。問題はタルムードとそれに基づく他民族に対する無慈悲な態度にあった。ドイツ民族は彼らを非難する口実をそこに求めていたのであるが、ヒトラーは、そのような宗教的理由を糸口にして、ユダヤ人の精神的及び身体的特徴を科学的歴史学的な合理化を施し標的にしたのである。彼は神の名を唱えながら、その実、唯物論的思考によって行動していたのである。しかもその手法は、キリスト教徒が最も憎むべき彼のタルムード的手法に従って行われたのである。これはまさにトリック以外のなにものでもなかった。それは、自らが持つ精神的属性(思想的属性を含む)を棚に上げて、ユダヤ人の身体的、宗教的特徴のうえにそのレッテルを貼りつけたのである。仮にユダヤ人を根こそぎ抹殺したとしても、抹殺する理由であるその精神は消すことはできないのである。抹殺者自らの精神に既にその属性が内在しているからにほかならない。その行為は、人をモノとして処理したのである。焚書も然りである。人の世界は意味の世界であり、書の内容も意味の世界である。意味の世界は、あらゆる関係の世界であり、どんなミクロの隙間も許さないアナログの世界なのである。どんな言葉にせよ抹殺はできない、意味を本質的に抹殺することはできないのである。意味は断じてモノではないからである。たとえ単語を抹殺したとしても、意味は不死身なのである。ヒトラーの犯した過ちを、いやしくも詩人たるもの絶対に犯してはならない。


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