小夜

 

(1) 小夜

 

 

香世が小夜を産んで以来

あれほどいた妊婦の姿が この街から消えてしまった

男の子の名前しか考えていなかったが

少しもがっかりしなかったのは何故だ

即座に 小夜という名をつけてしまっていた

それしか浮かばなかったのだ

香世は 自分の名と響きが似ていることに気を良くしている

あの小夜が 今はどうしているのか 私は全く知らない

今思えば はしかのような恋だった 

だが その恋こそ 私にとっては唯一の敵だった

克己とは恋を克服することにほかならなかった

ひとたび小夜のことを考えると もう 勉強どころではない

小夜に会わないこと 小夜のことを思い浮かべないこと

それが私の信条だった 

だが 何故 私はあんなことを言ってしまったのだろう

"君のために勉強する 君を幸せにするために必ずT大に入る"

私は落ちた

その恥ずかしさに 小夜の顔も見ないまま 上京して私大に入学した 

私が小夜について知っているのは 地元の国立大学に入学したところまでだ

遠い昔の思い出話だ

おや

おい 香世 ちょっと来てみな 小夜の手首が変なんだ

変って?? 左手首? 

ほら 少し赤いだろう 腕時計をすれば隠れる場所だけどな

あなたったら・・ どうかしてるわ 何ともないわよ
子煩悩もほどほどにしてよね
昨日も寝言 言ってたわよ 小夜 小夜・・って

痣は大きくはならないが だんだんはっきりしてきて
毎日 少しづづ 膨らんでくるのが解る

それでも 香世は 相変わらず 私を馬鹿にするだけだ

香世に内緒で医者に見せると

なるほど そういえば 鋭い刃物で切った痕が・・あっはは 気のせい 気のせい
生まれて半年のこの子に 10年も前についた古傷があるわけはない

そんな馬鹿な 痣も膨らみも医者にさえ見えないなんて

なんということだ

家に帰って小夜の手首を見ると

そこには 小さいながらもはっきりとした形

まぎれもない 高校生の小夜の顔だ

哀しそうな顔から 涙が一滴

それを拭おうとして 思わず唇を近づける



か細い声 "幸せにしてね 幸せになってね"

ぱんっと弾けて 黄色い膿が エプロンに飛散った

あなた 蜜柑なんて この子にはまだ早いのよ 
はい これ 郵便受けに入ってたわよ 

開封すると同窓会名簿 

錯乱した文字が 私の胸に突き刺さった 

桜木小夜 死亡

 

(2) 思春期の小夜

 

 

香世に向かって 手当たり次第 物を投げつけ

手足をひきつらせて 私を 涙の横目で睨む

あのおとなしい小夜が 豹変したのは あの日

香世と私の結婚15周年記念を迎えた日

小夜を寝かしつけて (いや 眠っていると思っていたのだ)

二人で食事に出かけた あの祝いの夜が最初だった

香世が 諌めれば 諌めるほど

小夜の顔は蒼ざめ 四肢を枯木のようにひきつらせる

思わず私は 弓なりになった小夜の体を抱きしめ

優しく手足をさすってやる

そして あの左手

痣も無く 膨らみもない 

抜けるように白い 手首に 口づけする



小夜は 嘘のように 安らいだ顔になり

そのまま 眠りこけてしまう

あどけない寝顔に 私は 自らの罪悪を見せつけられないではいられない

凍結していた私の潜在意識が 解け崩れ 血液となって

自らの意識の体内を 撹乱しつつあることの罪をだ

小夜を抱擁したときに感じる 胸のふくらみ

あの弾力は もはや 愛娘のものではない

遠い昔の けれども 現実味あふれる 

懐かしい 青春の感触だ 

香世の視線に私の全身がわななく

すると 小夜の左の乳房が ぴくりと動いて

私にだけ聞こえる声で 叫んだ

""お願い 私を一人にしないで そのまま じっと抱いてて!!""

 

 (3) 小夜と七夕

 

 

天の川に流されて

梅雨空から落ちてきた

ベガとアルタイルのように

私達はどしゃ降りの雨の下

ただ やみくもに 抱合い愛撫した

雷鳴がやんだ後に 残ったものは

ずぶ濡れの体と 何も見えない未来だけだった

七夕の日のあの場所 それが この境内だった

そして 今 ここに居るのは あの小夜ではなく

私の愛娘の小夜だ

実の娘でありながら 同じ名前

(私がつけたのだ 後悔しても始まらないのは承知だ)

しかも 娘小夜は いつの間にか

あの小夜と 瓜二つに 成長している

私は DNAなど 信じない 

いやでも 生まれ変わりを 信じさせられてしまう

娘小夜が 桜木小夜の生まれかわりだとしたら

小夜は 前世のことを憶えているのだろうか

土曜夜市の帰りに この境内に誘ったのは

私ではなく 娘の方だ

偶然か 前世の潜在意識がそうさせたのか

それとも 何もかも知っているのか

憶えていて 私をここに誘ったのか

私は そ知らぬふりをして 賽銭箱に小銭を投げ 柏手をうつ

"お父さん 何をお祈りしたの"

"小夜ちゃんが、好きな人のところにお嫁に行けるようにさ"

"おとうさんったら 私 お嫁になんか行かないわ"

星が流れて 一瞬 小夜の瞳を輝かせた

 

(4) 花火の影 小夜

 

 

"この人 誰?"

実家の縁側で見る 昔のアルバム

"小夜ちゃん びっくりしたんだろう そっくりだものな"

"誰と?? お母さん この人 誰と似てるのかしら"

"綺麗な子ね  お父さん 昔はもてたんだものね"

"ふ〜〜ん でも 誰に似てるのかしら ねえ 誰? 誰よ??"

"誰って 小夜ちゃんに決まってるじゃないか"

"小夜ねえ ほほほ 小夜ちゃんって こんなに美人かしらね"

"まあ 失礼 全然似てないけど 美人っていう意味じゃあ同じってわけか 私と"

何度 目を凝らして見ても あの小夜と ここにいる小夜とは瓜二つだ

何故 香世も小夜も似てないって言うのだ? ほんとに似てないのか

ほんとは似ていないのだろうか??

美しく 儚く 謎めいた 花火が

小夜と 香世と 私の大空に

絶間なく 打上げられていく

もしかしたら

小夜は 私だけの暗い海に落ちてゆく

花火の影なのかも知れない

無秩序に並んだ 無数の波の鏡に乱射した

音を失った花火の 影なのかもしれない

無意識に 私は影を拾い集め

その影を 香世にひき摺らせ

香世がひき摺った影に 小夜を産ませた

過去 現在 未来 現在 未来 過去 未来 過去 現在

影 香世 小夜 香世 小夜 影 小夜 影 香世

花火を映す ランダムな海の輝きは

誰も見ない 私だけの揺れる鏡は

ただ 哀しく

海の 暗さと 冷たさだけを 唄っている

 

(5) 小夜とヤマンバ

 

 

シルバーシートに陣取った

天真爛漫な ミニスカヤマンバが二匹

ペースメーカーを胸に抱えた老人を前に立たせて

携帯電話に夢中になっている

彼女達の姿を見ていると

なんだか 小夜だけでなく香世の鬱屈した精神に

憐憫の情と限りない愛おしさを感じてやまない

ヒステリー症

四肢を硬直させて狂乱する吾が娘の病名を知ったとき

その響きのおどろおどろしさに狼狽していた香世

その香世が 最近ではよく体の不調を訴える

香世は 私が小夜に対し 単に娘としてではなく

何か 女性としての異質の感情をもっていることに 気付き始めたようだ

香世の症状も 本質的には小夜のそれと同じだ

だが 香世は断じてそれを認めるわけにはいかない

四肢は絶対に硬直させたりはしない

それが 母親の本能とでもいうものらしい

香世はよく 私の前では

声が出ないという 腰が痛くて立てないという

だが 電話が鳴れば普通に話せるし

雨が降れば 干していた布団を 慌てて家に取入れることができる

どこの病院に行っても 異常なしと言われる

だが 精神科だけには絶対に行かない

先日は 頑強な骨格を医者に誉められて帰ってきた

しかし 香世はその度に 医者を藪医者あつかいして

自分で 色んなこじつけをしてみせる

普通の人より喉の粘膜が弱いのだとか

学生時代に無理な運動をしすぎたせいだとか

そして病名も色々つけてみせるが 決して ヒステリー症ではない

よくストレスのせいにしていたが

最近では 少し早いと思うのだが 更年期障害だと言っている

自分がコントロールできる意識の世界から 逸脱した原因によるものなのだから

病名など 医者にでも任せておけばよいものだと思うのだが そうはいかないらしい

それは ちょうど 理由も無く無闇に 自分でも判然としない衝動に駆りたてられて

ただ何かを書いている もの書きが

その作品を "落書き"とだけは言われたくない心境に似ている

詩とは呼んでもらえなくとも せめて ショートショートだとか コラムだとか・・

それこそ 暇な学者に任せておけばよいことなのに

絶対に "落書き""ヒステリー症"などと呼ばれたくないのは人情なのだ

ヒステリー症患者も もの書きも

ヤマンバよりは 遥かに 広く

けれども 規範の網の目が張り巡らされた

秩序を求める世界に 住んでいるのだ

決して希望を見捨てる世界には住んでいない

だから 葛藤があるのだ

小夜と香世に 憐憫の情と限りない愛おしさを感じてやまない

まして 全て 私のせいなのだから

 

 

 

 

 

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詩埜美愛

 

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