猫股

 

 

 

(前編)尻尾で書かれた手紙


拝啓 猫堀ご夫妻、お元気でしょうか。あの春、東京を去って以来、何年

経ったのでしょう。その間、残念ながら僕には東京へ行く機会は一度もあり

ませんでしたし、筆不精のためとはいえ、お手紙一つさしあげませんでし

た。ですから、僕こと亀戸天之助のことなどは、とっくにお忘れになってい

るかもしれません。しかし、僕はあれから何度か貴方がたに会っているよう

な気がしてならないのです。

 今日、突然便りをする気になったのは、「醒めている者には一つの共通の

世界があるが、眠っている人間では、各人が自分自身の《私の世界》に退い

ている」というギリシャの哲人の言葉を思い出したからです。つい先達ての

春霞の中での出来事は夢だったのでしょうか、まぎれもない事実だったので

しょうか。もし夢ではなく事実であったのならあなたがたご夫妻も僕が今か

らお話しする体験を、珍妙な事実として既に僕と同時に体験されていること

と思います。「夢は過去を再び生きることだ」と言った人もいます。もしあ

の体験が夢であったのなら僕は過去の町を独りで彷徨っていたことになるの

でしょうか。

 貴方がたの好きな猿股の話ではなくどちらかというと貴方がたご自身の股

(猫股)に近い話なので恐縮なのですが、是非お聞き下さい。

 あの日、新幹線の電車を一歩降りると懐かしの東京は限りなく拡がってい

ました。ホームには人、人、人。顔、顔、顔。それは誰でもなく、ただの人

であり、ただの顔でしかありません。脚は脚で九州産のものもなければ広島

産のものもありません。皆、東京の歩調で歩いていました。でも、長い間田

舎に籠っていた僕にとっては却ってそのことがとても嬉しいことのように思

えました。

 改札口です。僕はコートのポケットから切符を出し損ねて落としてしまい

ました。拾おうとして視線を床に落とした時―――今思い起こしてみると軽

い耳鳴りに煩わされるようになったのはこの時からのような気がするのです

が―――僕は不思議なものを見つけたのです。―――足跡。誰がこんな悪戯

をしたのだろう。まるで墨でも踏んだ足で歩き廻ったようにはっきりとした

裸足の足型が無数についているのです。でも、行き交う人々のなかには一人

としてそんなものに頓着する者はいません。俄東京人とはいえ、ともかく都

会人らしく振舞ってみようと思い、僕は既にベルが鳴っている中央線の赤電

車に飛乗ったのです。と、いきなり若い女性のミニスカートが目に飛込んで

きたのが悪かった。いや、もっと正確に言えば、そのう、・・。ともかく僕

の視線は彼女によって床に敲き落とされたのでした。そして、そこで見たの

がまたしてもあの黒い足跡だったのです。

 顔を上げれば常に刺激的な世界があり、そしてその世界にはいつも為体の

知れない何者かに脅迫されている現実がある。それが都会だ。東京だ。そう

思った僕にはとても顔を上げるほどの勇気は起きてきませんでした。仕方な

く奇怪な足跡と付き合っていると妙な事に気付きました。左の足跡にはくっ

きりした土踏まずがあるのに右のそれには、土踏まずが全くない。完全な偏

平足です。あまり大きくはないが子供のものではないようです。なんとなく

鄙猥な男の臭いが漂ってきます。

 お茶の水の駅のホームにはもはや足跡であることが判別できないほど幾重

にも黒い染みが重なり合っていました。ここで地下鉄に乗り換えです。真新

しい電車がやってきました。新車に違いありません。あの頃、ここと高田馬

場とをこの電車で何往復したのでしょうか。

今は、新しい電車の中に新しい学生がたむろしています。新しい学生などと

いう表現を使うと貴夫妻はお笑いになるかもしれませんが、僕にとって東京

は常に学生の町であり、喩え背広を着てそこに住着いていたとしても、東京

にいる自分自身は常に学生なのです。そして親友は(喩え、親友自身がそれ

を否定しようとも)常に学生時代の所産であるのです。ですから、貴夫妻も

学生時代からの僕の親友であったことに異議を挟むことは許されないので

す。

結婚式の会場は、高田馬場の駅を降りると昔アパートがあった所の反対側の

道を七、八分歩いた所にありました。

不快な足跡は、もうここには疎らにしかついていなかったのですが、式場に

着いてみると、「青江家、真部家の結婚式―――都合により中止」という札

が下がっていました。受付で理由を聞いてみると、なんでも花嫁さんが、日

本髪を結っている最中に吐気と眩暈をうったえるので、心配した花婿すなわ

ち学生時代の友人青江広雄がすぐさま病院へ連れていったということでし

た。どこの病院かと聞いても解からない。これでは、全く何のためにはるば

る東京へやってきたのか。けれどもしかたがないので、すごすごと引き返す

と、またあの忌まわしい足跡に出会いました。何故、こうもこの足跡を不快

に感じるのかと思ってみても解かりません。

足跡は、駅を越して元のアパートの方向へ夥しく続いています。これだけの

通行人がいて、ここでも誰一人として足跡に注意を払う者がいないとは。東

京とは本当に不思議な所です。

腹がへってきました。見渡すと“ミケド”という看板が目に入ってきまし

た。いやにけばけばしいネオンがついているとは思ったのですが、入ってみ

て驚きました。昔はここでよくアジの干物のおかずがついたネコマンマ定食

を食べたものですが、今ではゲームセンターに様変わりしていたのです。

しかたなく空いている席の椅子に腰掛けて百円玉を入れてみました。する

と、黒猫のタンゴの曲が流れ画面いっぱいに黒猫が現れました。どういうわ

けか、真中の奴だけは、ピンクの猫です。どうやらこいつを落としたら点数

が高いらしい。左下のつまみを操作しながら狙いをつけて右手で玉の出るボ

タンを押すのですが、なかなか当たりません。やっと当たったと思ったら黒

猫の場合とは違って、ピンクの猫は消滅しないで「イヤン」とか「エッチ」

とか「バカン」とか「イヤ」「ダメヨ」など妙に色っぽい声を出すだけなの

です。たまたま尻尾に当たったら、その尻尾がとれてピンクの猫の襟巻きに

なりました。ピンク猫はマリリン=モンローのような格好をして踊りはじめ

ました。すると、“かえらざる河”のテーマ音楽が流れて一万点アップされ

ました。しばし夢中でゲーム機をいじっていたのですが、見渡せば小、中学

生とアホ面の大学生ばかり。アホくさくなって店を出るとすっかり暮れてい

ました。

おかげで、黒い人の足跡はよっぽど眼を凝らさなければ見えないくらいに

なっていました。が、今度は白い粉を踏んだような猫の足跡を一筋見つけま

した。そいつは道路を横切って“白薔薇”という純喫茶に入っているようで

す。この喫茶も学生時代はよく入ったものです。健在とは本当に嬉しい限り

です。中は以前と同じように薄暗いままですが、壁も天井も鏡張りに変わっ

ていました。そのせいか奥行きがとても広く感じられます。アメリカンを注

文してトイレに入るとその中まで鏡張りでした。そのうえ、便器の向う側の

壁もやはり鏡で出来ていて、それはどうやら開き戸になっているらしく、ノ

ブがついているのでした。なんだか気味が悪くなって出かかっていたものも

引っ込んでしまいました。

 引き返してテーブルに着くとウエイトレスがコーヒーを運んできました。

なるほど、床が鏡張りであることの意味がよく解かりました。

 女は隣にかけて僕の方を向くなり「お久しぶりねえ、お元気」と微笑んで

きました。全く見覚えの無い顔でした。女は僕の左手をとって自分の胸に忍

び込ませてきます。「私、今も高円寺に住んでいるの。」まるで思い出して

くれ、と言わんばかりです。よしてくれ俺には全く身に覚えのないことだ。

こんどは右手をとって太腿に押しつけてくる。ひょっとすると・・。悪い記

憶が蘇ってきました。―――許してくれ。若気の至りだ。子供が新しく買っ

てもらった玩具を壊してみたくてしかたない衝動に駈られるのと同じこと

だったんだ。軽い気持ちでちょっと分解してみただけなんだから。

「トイレ、トイレに行って来る。」僕は彼女の手を払いのけて立ち上がりト

イレへ駆け込むと、先程ここへ入った時に見た便器の向う側のノブを思いっ

きり引きました。長い鏡の廊下が続いています。

 恐る恐る歩いてゆくと、ゴーっという猛烈な音がして銀色の電車が入って

きました。鏡の廊下はいつの間にか、地下鉄のホームに変わっていたのでし

た。ドアが開くと僕はほぼ発作的に電車に足を踏み入れていました。何故か

僕にはこの電車が三鷹行きであることが解かっていました。行くあてはない

が、ともかく終点まで行こうと思いました。でなければ、とても動転した気

持ちが元に戻らないと思ったからです。落ち着きを取戻すだけの時間が欲し

かったのです。それなのに、死んでもいやだと思った高円寺で降りるはめに

なったとは・・。

 高円寺の駅に着いた時、窓を突き破って女の悲鳴が僕の耳を射抜きまし

た。僕は驚いてホームへ飛び降りたのですが、僕をホームに残したまま、電

車は何事もなかったように発射してしまったのです。見渡すとホームは血の

海でした。それにも拘わらず、ホームを歩く人々はそんなことはなんでもな

いと言ったふうに歩いて行きます。ある男女は腕を組みながら、ある老人は

新聞を読みながら・・。よく見ればそれは血ではなかった。またしても、足

跡だ。こんどは赤い足跡だったのです。でも今度は例の片足偏平の足跡では

ない。ちゃんとした土踏まずがくっきりとついています。なんとなくあの女

のもののように思えて不愉快でした。

 改札口を出ると赤い足跡は南口を這って右の道路に伸びていました。僕は

敢えて北口へ向いました。通りを歩いていると、道路の片隅にところどころ

雪が残っているのが目に入りました。と、ふと気付きました。雪の上には必

ず猫の足跡がついているのです。なんとなく疲れを感じ始めていた僕には、

それがもし神のものでないにしても僕が従うことを宿命づけられた悪魔かな

にかの啓示のように思えました。僕はその足跡の一つ一つを踏みつけて自分

の靴の跡に変えて歩き続けました。雪の足跡は一つのマンションの前で、滴

る水の足跡に変わって階段を上ってゆきます。それは、九階の「猫堀忠助・

ミー」と書いた表札のある扉の前で消えていました。

「猫堀忠助 ミー」―――それは確かに懐かしい名前でした。親友の名前で

す。でも、あの仲の悪かった二人が結婚していたなどとは思いもよらないこ

とでした。こんなふうに貴夫妻のことを言うとお叱りを受けるかもしれませ

んが、それが正直な気持ちだったのです。

 チャイムはトムとジェリーのテーマソングになっていました。ドアの内側

からミャ〜オというような声が聞こえてきて、しばらくしてドアが開きまし

た。

「本当にお久しぶりね、亀戸さん、その後お元気でしたか」

ミー君は昔と少しも変わっていませんでした。

「さあ、お待ちしていたのよ。チューちゃんも腕によりをかけてネコラーメ

ンを作って待っていたのよ」

 何故、あの時貴夫妻は僕が来ることを知っていたのか不思議な話です。で

も、何故だったのか、僕はあの時、その事を少しも不思議な事とは思わず、

寧ろ当然のことのように思って、ご馳走を戴きました。

 チュー君はしばらくみないうちにめっきり白髪が増えて、雪のような頭に

なっていましたね。いや、そういう表情はまずい。雪は雪でも道路の隅に

残って半分泥をかぶった東京の雪の意味なんだから。

「東京で、美人の嫁さんを貰うと、男はみんな、こんな頭になるんだよ。」

 チューくん、君は九階の窓から、夜の高円寺を見ながら話してくれました

ね。僕はその時、君と一緒に窓から外を見ていました。そして、ある一つの

発見が僕に身震いを起させたのです。

 東京特有のほの白い夜の灯りが醸しだす高円寺の街は、あれほど複雑に入

組んでいるにも拘わらず、九階から見ると、なんと単純にも一つの巨大な猫

の足跡でしかなかったのです。

「亀戸さん、粗茶をいっぷくどうぞ。」

 僕はミー君が入れてくれた抹茶をおいしく戴きました。そして、三度回し

て茶碗を返しました。

「亀戸さん、あなたは、私が愛知裏千家ミー流の家元であることは知ってい

るでしょう。では、礼を尽くして下さい。」

 僕は申しわけないことをしたと思って、正座をしてやり直しました。

「いち、に、さんど回してニャンコの目、クル、クル、クルのニャンコの

目、あなたも私もニャンコの目、ケッコーけだらけニャンコの目、桜島はハ

イだらけ、ハイだらけの柿右衛門、ネコをかぶってニャンコの目、クルクル

クルッのニャンコの目」そして、四つんばいになり、お尻をつきだして茶碗

に顔を近づけてその模様を拝見しました。本当に素晴らしいベッコウ猫の絵

が描いてありました。

「お返しに僕にもいっぷくたてさせて下さい。」

「亀戸さん、では、この茶筅で僕にたてて下さい。」

チュー君が、僕に手渡してくれた茶筅は本当に珍しいものでした。普通茶筅

は竹で出来ているはずですが、そうではないのです。白い色でなんだかとて

も艶かしく感じるのです。お茶をたててみて、我ながら感心しました。柿右

衛門の朱の上に、渋緑のミルキーな小さな泡がびっしりと水草を敷きつめた

ように浮いているのです。

「これはすばらしい。亀戸さんがこれほどの腕前とは知らなかった」

チュー君は喜んで飲んでくれましたね。本当に有難う。あんな素晴らしいお

茶をたてることができたのは、本当にあの茶筅のおかげです。僕は君が昔、

鬚を伸ばしていたことは知っていたが、まさかあれが・・。

チュー君はいつの間にか寝てしまったので僕はミー君と二人で遅くまで話し

ていました。ミー君が僕に風呂をすすめるので入ることにしました。湯船に

つかっていると、戸の向側からミャ〜オと聞こえてきました。声はすれども

姿は見えぬ。僕は猫の姿をまだ見ていないことに気付きました。

 風呂から上がって廊下の上を素足で歩くと、足跡がペタリ、ペタリ。なん

とその足跡は、片足偏平足―――馬鹿馬鹿しい話ですが、それは、自分の足

跡だったのです。

 ミー君が今度は風呂に入ったので、僕は、残っていたネコラーメンのスー

プを飲みながら鮨を食べていました。すると、部屋に可愛いピンクの猫が

入ってきて、僕の顔を見て、ニコッといかにも照れくさそうに笑い、トコト

コトコッと洋服箪笥の引出しをあけて、一枚のパンティーを取出して、ま

た、トコトコトコッと部屋を出てゆきました。流石、よく教育された猫だ。

僕はてっきり貴夫妻がメイドの代わりに飼っている猫だとばかり思っていま

した。

 ここまでお話すれば、後は、貴夫妻が・・あなた方のほうが・・ああ・・

あああ・・僕の尻尾が・・ああ・・あああああ



(後編)尻尾で書かれた話


君はお母さんのオッパイの味を憶えているだろうか。憶えていない。とする

と、隣家のお姉ちゃんのオッパイをおねだりして折角吸わせて貰ったのに、

出ないと言って癇癪を起こして、挙句の果てに生えたばかりの歯で非人道的

な試噛(ためしがみ)なる行為をしたことも、そしてそれが原因でお姉ちゃ

んの将来が歪んだものになってしまったことも君は知らないと言うかもしれ

ない。

 なるほど忘れるということは、人間が持っている優れた能力の一つだろ

う。だが、このような君が忘れてしまった出来事をさえ憶えていてくれるの

が歴史であったとしたら、それは嬉しいことではなかろうか。

 これから歴史が話してくれる事実は、君にきっと、オッパイの味とそれを

しゃぶりながら見たあの日の光景を在り在りと思い起させてくれるに違いな

い。

 1972年初夏、帝国都警は東京、特に高田馬場付近で猛威を揮っている

雌猫ミーをドン(首領)とする野良猫軍団を捕らえるために東京中のマン

ホールの蓋をはぐり、その上に木天蓼(またたび)のエキスを擂りこんだ薄

い発泡スチロールの板をかぶせて落とし穴を作って張込んでいた。

 ところが肝腎な猫は一匹も掛からず、いつも落し穴の底で猫いらずの入っ

た餃子を食って悶えているのはピンクの水玉模様のヘルメットを被ったカゲ

リ派(翳り派)と呼ばれている学生ばかりだった。

 そこで警視庁から依頼を受けた平和(ピンフ)警備有限会社は、FBI及

びKGBに協力を要請するとともに秘蔵のタイムマシンにより、1993年

の資本主義社会から最新鋭のコンピューター機種である伊立(イタチ)

NFJT(ネコフンジャッタの略称―――通称ネコフン)を購入してドン・

ミーの弱点を徹底的に究明することにした。

 コンピューターを購入するための資金の調達はタイムマシンさえあれば簡

単である。それは、1984年に隆盛を窮めているサラ金会社ネコムから借

入すればよいのだから。利息は高ければ高いほどよい。何故か?―――計算

してみれば一目瞭然。1972年に借りて1984年に返済するのであれば

借りた金額の倍以上を返さなければいけないだろうが、逆なのである。

1984年に借りた金を1972年に返すのである。これだけヒントを与え

ればいかに数字に弱い読者諸君でもお解かりだろう。時は、今とは大違いイ

ンフレの絶頂期なのである。

 一方、次々と仲間を失ってゆくカゲリ派ピン玉戦士会会長猫堀忠助は、こ

のままではすまされないと思い、思案を重ねたが名案は浮かばなかった。そ

うしている間にも、一人また一人とピン玉戦士は穴へ落ちて行く。落ちるこ

とはすなわち堕ちることである。猫いらず入りの餃子を一度食した戦士達は

その味が忘れられず、彼らはついに中毒にかかってしまったのだった。

 そんな訳で、彼らは木天蓼(またたび)の匂いを嗅ぎ付けては発泡スチ

ロールの板を破ってその中の餃子、猫いらずの入った美味しい餃子を貪り歩

くようになったのだ。斯くしてピン玉戦士は、堕ちることの意味も推考する

こともなく自らの神、ケール=クスクスを蔑ろにし、猫いらず入り餃子の前

に跪いたのであった。

 哀れな会長猫堀忠助は、自分達の真の敵は国家権力などではなく、ひょっ

とすると猫ではなかったのか、などとちょっぴり反省していたせいか、ふ

と、「猫は世につれ世は猫につれ」という言葉が鼻歌交じりに飛び出した。

猫堀忠助会長は、そうだと思った。ラーメンの屋台をはじめることを思いつ

いたのだった。

 彼がはじめた猫いらず入りラーメン、略してネコイランメンは開店の日よ

り爆発的人気を博した。欲求不満の状態にあるヒトの内臓はマゾヒスティッ

クに出来ている。そのことを踏まえて味付けされた彼のラーメンは天下一品

であったのだ。ちょっぴり辛い舌触りは、甘くドロリと喉を伝わり、脈を

うって胃を流れ、腸の内部で爆竹を鳴らしているような感触がなんともいえ

ない。もはや餃子などはメではない。

 斯くして全てのピン玉戦士は一糸乱れることなく屋台の前に整列して、頭

からヘルメットをはずし忠助会長に一礼した。いまやヘルメットを頭にかぶ

るのはナウ(現代的)くはないのだ。食器にして使うのが最もナウい方法と

なったのだ。ここでは下部構造が上部構造を規定するかどうかは多分問題に

はならないと思うが・・。ともかく彼らはもはや翳り派ではなく過下痢派と

なったのだった。

 さて、最新鋭のコンピューター=ネコフンを導入した甲斐があってか平和

(ピンフ)警備有限会社は、ついに首領(ドン)ミーの弱点を探りあてるこ

とに成功した。ミーは色男に弱いことが暴露されたのだ。1980年代のものな

らばここまでがコンピューターの仕事である。多少性能のよい機会でもせい

ぜいパターン認識によりアランドロンが好みかエルヴィスプレスリーがよい

かそれとも反町隆史が相応しいかを判断する程度である。ところがネコフン

ともなればそんな怠惰な仕事をすることはプライドが許さない。なにしろ人

間の人間たる所以、すなわち人間性なるものがどんどん退化し且つ退化し続

けている1990年代を尻目に一人進化を続けている機械の意気込みはそんな生

易しいものではない。彼は虎視眈々とポスト人間を窺っているのだ。そし

て、人間が人間性なるものをデオキシリボ核酸の上に見出そうとしている限

りその日も真近かであると彼は確信しているのだ。

 ひょっとしてネコフンのやつ哲学をするのでは?―――などと思う読者が

いたら、それは彼に対する最大の侮辱である。機械は禁断の木の実を食うほ

どいやしくはないのである。彼はFBI、KGB及びゲシュタポの生残りが

収集した全世界の色男に関する資料を分析し、首領ミーの定義する色男に最

も近い実在をキャッチしたのである。なんとその男の名が猫堀忠助であると

したら、世界はあまりにも狭すぎるのではないかと思われるかもしれない。

しかし、それは事実である。当時、世界の全ての国、全ての都市、全ての町

村は皆、高田馬場に隣接していたのだ。

 議論沸騰の末、帝国都警は、今では足を洗ってラーメンのチェーン店を経

営することに熱意を燃やしている猫堀忠助氏に“囮(おとり)作戦”の協力

を求めてきたのである。つまり忠助氏に囮になってくれないだろうかと。猫

堀氏は生来他人に頼み事をされると断れない性格であったので二つ返事で引

き受けたが、すかさず条件を出してくるところなどは憎い。すなわち、今後

5年間警察官の昼食メニューはネコイランメンに限らせたのであった。

 商売繁盛は約束されたものの「ヒトはラーメンのみにて生きるにはあら

ず」という言葉が寝不足の頭の中で雲のようにフワフワしているのを感じて

いるせいか、あるいは猫とは言え自分に好意をもってくれている異性を裏切

るという罪悪感に耐えかねてか、猫堀忠助はなんとなく落着かない様子だっ

た。

 帝国都警は“囮作戦”を実行する前にマスコミの機嫌を取ることを忘れな

かった。ヘタをするとミイラとりがミイラとなりかねないご時世だ。そこで

事前に猫を処罰するための大義名分を吹聴する必要があったのだ。先人が

言ったようにいつの世でも一般大衆が知りたがっていることは“キリストが

何を言ったか”ではなく“キリストが処女の胎内から産まれ出たかどうか”

ということである。世間に野良猫どもの悪行を訴えるための最も効果的な方

法は、彼等が行った悪事を逐一報告するのではなく、彼等の首領であるミー

個人のスキャンダルを流布することである。それならばテレビや週刊誌が最

も得意とするところであるので、帝国都警としては特に積極的に行動するこ

ともないのである。ただ一度だけ記者会見により、首領ミー一派が昨夜高田

馬場のスナック“ドビン”で右竹氏を嚇してスルメ三枚を盗み、西早稲田の

矢吹邸を襲って食いかけの鯵の干物を一枚無理やり住民(まがりにん)の西

山氏より強奪したといった内容の事実を発表すれば、そのあとは自動的に首

領ミーの出生の秘密から今日に至るまでの極悪非道な実態が明らかにされる

ことは間違いないのである。なにしろ、お尋ね者の猫騒動というのは我が皇

国では未だ嘗て一度もないのであるから。勿論、多少の尾鰭はつくかもしれ

ないが、ミーの場合、尾は既についているものだから大目に見ようではない

か。

 どうやら記者会見が始まったようだ。読者諸君、さっそくテレビのス

ウィッチを入れて見ようではないか。

・・・ガ〜ッガガ〜〜ガガァガ〜ッガガ〜〜ガガァガ〜ッガガ〜〜ガガァガ

〜ッガガ〜〜

どうしたんだ??ガァガ〜ッガガ〜〜ガガァガ〜ッガガ〜〜ガガァガ〜ッガ

ガ〜〜#$!


(あとがき股はあとあがき)取敢えず蒼鬼に注意


 諸君、人生股は猫生なんてものは須らく今は昔、股は昔は今なのである。

生きすぎた猫の尾は双股に別れ、各々ペンを掌り言葉を伝って巧みにヒトの

体内に侵入し心の壁に、鬼の落書きをすると言われていることは、詩人なら

誰でも知っていることだ。

二匹の鬼。一匹は“嫉妬”であり、それは他者に対し無意味な攻撃を有形無

形のうちに行う。嫉妬は燃盛る赤鬼である。もう一匹は“自己嫌悪”であ

る。こいつは何もかもを無気力にしてしまう。人の心から血の気を抜き取っ

てしまうのである。それは貧血の友、蒼鬼である。彼等に捕まる時はいつも

決まっている。それは自己の自己たる所以、他者の他者たる所以を見失った

時である。私はもっと私自身でなければならないのだ。(了)

 

 

詩詩自由録

詩埜美愛

 

うれ詩はずか詩あなわび詩