フォームの始まり

田中暁光庵と明確なビジョンと豊かな感性をもって『詩』の光明を醸し出そう
 

 

うなる脳

響子 投稿日:200415<>1501

 


高村光太郎さんと千恵子さんが、どのように関わりあい、どんな結婚生活を送っていたのか、
それはもう想像するだけで、私にはなにひとつ「ほんと」のことはわからない。
目に見える作品の中から、それはもしかしたら、ほんのわずか垣間見ることができるのかもしれないが、
作品をそんなふうにみていいものだろうか、という疑問もあるし、
誰のどんな作品も、ただそれだけ一品もの、としてみたい、という思いがある。
ここで論じられている俗と仙、あるいは光太郎と千恵子の関わり、が
うまく自分の中でかみ合わず、
どこにどう参加していけばいいのか、とまどっております。


Res:いくママ 題名:話題ずれますが、 投稿日 : 2004年1月6日<火>14時08分

高村光太郎と智恵子・・この二人の生活はどのようだったんだろう、と改めて思います。
夫婦といってもその家庭によって様々でしょうけれど、光太郎は智恵子に何を望んでいたのでしょう。

ただ一緒にいればいい、という気持ちだけで、芸術が好きな智恵子を理解している、家庭の主婦としてというよりは、ひとりの人間として見守っていたような気がします。

大きな目で智恵子を見ていた。芸術家である光太郎は世間一般の常識的な妻というものを求めていなかったのではないか、と思います。常識を求められていながらできないでいる自分と、つい対照させてしまいました。〈

これは二人について思ったことで、前後の話題とずれているかもしれません。失礼しました。
http://www.h6.dion.ne.jp/~cafetime/index.html

 

俗と仙

田中暁光庵 投稿日:2003126<>1539

 


外伝・千恵子妙

(かつて、この日本の国に詩人であり、且つ彫刻芸術家でもあった、高村光太郎と云う人物が居た。彼は長沼千恵子と云う女性と恋愛し、そして、結婚した。 光太郎は幾編もの詩を綴り、妻智恵子に見せた。そして幾つもの木彫り細工の芸術品を彼女の為に彫り上げた。しかし、未完で終わってしまうのも多かったらしい。 日常の生活は貧困を極めていたようである。そんな中、千恵子の精神内部が分裂して行くのである。それは光太郎の美
と云う物を求める芸術家・詩人としての精神の孤高性に有るのではないかと思う。
もうひとつ。ソクラテスの妻クサンチエッペは世に云う悪妻の代名詞にすらなっている。
果たして、千恵子やクサンチェペは通説どうり悪妻なのだろうか?・・・僕はここで、思考が行きづまった・・・とうぜん、詩人と哲学者を比較することは出来ないが、表面的に見れば彼らの妻達は精神的に荒廃している、はたしてそうなんだろうか?
光太郎は千恵子をモチーフにした詩をたくさん書いている。それらの詩が「千恵子妙」である。文部省認可の教科書にも<レモン哀唄>は載っているので、記憶されている人もいるであろう。僕は思う、彼女達が結婚した相手が俗人ならば、平安な人生をまっとう出来たのじゃないだろうかと。結論を言えば、高太郎もソクラテスも仙の世界に入っていたと云ったほうがいいだろうか。そして、妻達は自ら精神的に追い詰められ精神に異常をきたした。)

時限と空間を越え
変わらぬものがある

目に見えぬ有機体
国により 人により さまざまに固有名詞が付けられる


スピッリット

遥か永遠の太古から
霊長類に与えられてきた
形なき有機体
体内に宿り 心を 司る

俗人は云う
そんなもの有りはしない
幻覚だ・・・と

目に見える物質
固形体・・・
のみ信じる人々も居る

この世界の中に
聖霊の住む国が有る
シャーマニズムを信じる人々

現世はカルマの浄化だ・・・と
信じる人々が居る

この世界歴史に名を刻んだ
多くの人達は
使命をおびて歴史に生まれた

そして仙の領域で活動した

山と谷・・・ 
人が付くと
仙と俗 に変わる

遥か孤高の精神に
俗な心は掻き乱れ
小さきなるゆえに 俗な精神は
乱れる・・・

あなたたちが わるいのではない

俗人たちよ・・・
この次元は あなたたちの
住家なのだから


Res:いくママ 題名:悪妻というけれど・・ 投稿日 : 2003年12月30日<火>06時02分

 悪妻について、なるほど考えてみれば、もともと悪妻といわれる人ではなかったかもしれない。芸術家についていこうとすること自体、普通の生活は望めないものだろうし、安定すると芸術活動は止まってしまう。激しい芸術作品は不安定を基盤にしてつくられるものだったのかもしれない。それに付き合う妻は、普通に何気ない話でテレビみて何気なくだらだらとふたりの他愛無い幸せを流れるように時間を過ごしたいな、あれ?今日の髪型違うんじゃない?など言ってもらいたいなどと思っても叶わないことだろう。
 でも逆に幸せすぎて、芸術やめた!とだんなさんが言っても奥さんは悩むだろうし・・どっちにしても芸術家の妻は悪妻になるし、悪妻といわれる人になるほうが、夫の為となるものだ。悪妻といわれて嬉しい妻は誰一人いないだろうけれど・・


 

Res:田中暁光庵 題名:返事 投稿日 : 2003年12月30日<火>16時14分

いくママ様、どうもレスを付けていただいきありがとうございます。
貴女の書き込みを至る所で拝見し、中々奮闘しておられる様子が伺えます。
で、今回の書き込みの件に関しましては少々返論するところもあります。
まず第一に、芸術を語るならば、それに見合った文章を書いていただきたい。
貴女の文章はこの中にも出てくる普通の生活を送る妻のものではないでしょうか、と
私は疑ってしまいます。
文章とは芸術であり、それを作り出す人の手によっては幾らでも美しくなるものです。
あたなには、創作者としての力がまだまだ足りない。
そして第二に、後半の悪妻についてでありますが、話の流れがつながっておりません。
人に意見を述べるときには、それ相応の「論理」が必要になってくるのではないでしょうか。
この文章に流れているのは、肥大化した無感性であり、鋭さがなく、人を説得させるには程遠い、ただの怠慢ではないでしょうか。
もしこの返事を読んだなら、改めて悪妻についてのご意見を拝聴したいと思います。
芸術的なレス、お待ちしております。


 

Res:響子 題名:バランス具合 投稿日 : 2003年12月30日<火>22時46分

モノを書くものと書かぬもの、描くものと、描かぬもの、奏でるものと奏でないもの
創るものと創らないもの・・・
乱暴な分け方ですが、そんな組み合わせで生きたとしたら(生活をしたら)
どんな歪がでるのだろう。
逆に、創るもの同士ではどうなのだろう。
生物的に生きていく以上、生活、と呼ばれるものがあり、
個人としての認識をもらっている以上、社会での生活もある。
が、「あ〜、そんなものなけりゃ魂はもっと解放されるのに」と思うのも事実。
現実を生きることと、感性で呼吸することのバランスが、いつも微妙である。
いっそ狂えたら(的確な表現ではないが)、この感性の世界にすべて投げ込めるのに
とも思う。
これは言い訳だろうか。
自分の中にある現実と感性、上手にバランスをとればとるほど
したたかな年寄りじみた自分をみるだけで、
だからこそ、書くその一瞬に、感性に飛び込んでみる。
ときたま、その感性の中にいるままに会話がなりたつこともある。
そういう人に出会うと、行く時間でも話していたくなるが
それができないのも、現実。

私は創るものでありたい。
孤独は、そのために抱える。
もしかしたら、その孤独をまわりに撒き散らしているのかもしれない。
感性に沈む私をみて、心痛める人もいるのかもしれない。

それでも、私は創るものでありたい。


Res:いくママ 題名:芸術的なレス・・考え中・・ 投稿日 : 2003年12月31日<水>03時04分

 田中さま ご指摘ありがとうございます。詩もですが、文章は話をすること同様、私の幼い頃から最も苦手とすることです。昨日書いた自分の文を今、直視できません。
 なんといいますか、私は単なる一主婦であります。エプロンつけた生活の合間に生きがいを求めて書いております。そして、自分の思うことを書いているだけであって、誰かを説得する為に書いているわけではありません。論理というものもほとんど頭にありません。文章が芸術だ、とは考えたこともありませんでした。
 
 でも 田中さまのおっしゃるとおり、芸術だとすれば、芸術とはなんだろうか?ということから考えてみなければなりません。美しい文章とはなにか・・課題になりました。
 芸術的な文章なんて、レスなんて私に書けるのだろうか、はたして・・・疑問を感じながらも、考えてまた書きたいと思います。


 

Res:田中暁光庵 題名:お返事! 投稿日 : 2003年12月31日<水>12時36分

▲響子様
(初めてではありませんね!)
レスポンズありがとう御座います。
然しながら、幾らハンドルを変えましても、文体書体は仲々変えられぬもの、
(あの)方であろうと憶測しております。

>いっそ狂えたら・・・
そうですね、ものを創り出してゆく人間の精神には時として狂ってしまいたい、
そんな思いも浮び上がりますね。

>行く時間でも話したくなるが・・・
仔細な事で申し訳ありませんが(行く時間)―これは、何か意味の有る時間なのでしょうか?
其れとも「幾時間」の変換ミスなのでしょうか?

>私、創るものでありたい。
「創る者でありたい」と表現されてはいかがでしょう?


▲いくママ様
>私は単なる一主婦であります。エプロンつけた生活の合間に生きがいを求めて書いております。そして、自分の思うことを書いているだけであって、・・・

(ans)他人の事も少し考えてみましょう。
自分の思うことを書き散らしているだけとは、これははっきり言って、
街中にゴミを撒き散らしているようなものです。
他人に迷惑だとは思いませんか?、そう云う人って。
それと同じ事だと思うのです。
ネットも街中も同じ事でルールや規律があります。
単なる一主婦と言う処に逃げ場所を唱えてはいけません。
解り易く、リズム感があり、美しい文章は幾らでも書くことが出来るのです。
これも、ひとつの課題でしょう。


 

Res:響子 題名:あ〜、ソコツもの 投稿日 : 2004年1月2日<金>20時09分

行く時間、は、いく時間の変換ミスでございます。
創るものは、「創るもの」であり、「者」という感覚とはちがう思いです。

・・・って、説明は苦手。


Res:いくママ 題名:響子さま 投稿日 : 2004年1月3日<土>14時58分

はじめまして。いくママ(ikuko)と申します。私は最近ここに出入りし、早朝毎日の日課のように書き込みしているものです。

【だからこそ、書くその一瞬に、感性に飛び込んでみる。
ときたま、その感性の中にいるままに会話がなりたつこともある。
そういう人に出会うと、行く時間でも話していたくなるが
それができないのも、現実。

私は創るものでありたい。
孤独は、そのために抱える。
もしかしたら、その孤独をまわりに撒き散らしているのかもしれない。
感性に沈む私をみて、心痛める人もいるのかもしれない。

それでも、私は創るものでありたい。 】


今回響子さまの文章を始めて(2回目かも・・)読まさせていただきました。
上のコピーしたところの文章が特に印象深いです。
特に、響子さまは芸術家なのだ、という感を持ちました。特に・・書くその一瞬に・・というところが、文章を書くという姿勢、打ち込みようが感じられます。
書くその一瞬に、感性に飛び込んでみたくなる。・・何度も書きますが、この部分がとてもいいです。その一瞬に賭ける姿勢。一日24時間同じ姿勢でなくとも、<書くその一瞬>に何か賭けるものがあったら、ステキです。ああ、なんだか、教えられた気持ちです。ありがとうございました。


 

Res:響子 題名:変人なのかも 投稿日 : 2004年1月3日<土>20時44分

心は、
たしかに24時間、感じ、うけいれ、とりこみ、咀嚼しているのに
生きていくということは、24時間それのみをみることが許されない。
それを手放して、心のみで生きてしまえば、
他のすべてを、他の人にゆだねるしかないだろう。
それは、悲しいかな、私の美学にはないのです。
心のままに生きる、その瞬間に飛び込むために
ちゃんと自分のめんどうは自分でみる必要があり、私のこだわりは
そういう矛盾するもののなかにあります。
全力で人として生き、
その上をゆくエネルギーを圧縮して、詩を書く。

書くことを必要としない人には
とても奇異にうつることかもしれませんね。

芸術家かどうかは、そう表現されることすら
私にはピンときません。
私はわたしでありたいためだけに、
書いているのだと思います。


 

Res:冠蛙 題名:正伝・智恵子抄 投稿日 : 2004年1月4日<日>03時56分

ちょっと失礼します。僕が聞き及んだ正伝によりますと、高村光太郎氏が「俗」であり智恵子さんの方が「仙」であるとのことでしたが・・・。光太郎は俗人であるからこそ「仙」に憧れた。けれども6歳から握った小刀にも”神”は降りてこず、ただ苦悶の日々が続いた。一方内実「仙」の領域に住みながらも「俗」に身を置かなければならなかった智恵子の苦悶は俗人が知るところではなかった。神は光太郎にではなく智恵子に降臨した。光太郎はただ智恵子の言葉と智恵子の所作をただ技術的に磨き上げられたデッサン力により書き写しただけなのである。謂わば智恵子が光太郎の詩「智恵子抄」のゴーストライターなのである。勿論、光太郎は智恵子を知る以前から詩を書いていてそれなりに認められている詩もある。しかし、「智恵子抄」は異色であり、これこそ「仙」の世界であると・・・。


 

Res:暁光庵 題名:あげる 投稿日 : 2004年1月4日<日>14時26分

age


 

Res:冠蛙 題名:ageru 投稿日 : 2004年1月4日<日>15時57分

age いるか!! そんなもん  

俺のもageru 持って毛よ!!・・・・でもお互い 鶴っぱ毛にはなりたくないな


 

Res:葉子 投稿日 : 2004年1月4日<日>19時29分

田中様、こちらでははじめまして、
田中様、みなさま、どうぞ、よろしくお願い致します。

幸せな結婚生活、幸運な出会い・・・
それは外から見て分りかねるものではないのではと考えます。
当事者がそう感じているかどうかが判断の基準なのか、
それとも外側から見ての判断が正しいのでしょうか。

高村光太郎は、智恵子というひとを妻とすることで、
その妻の精神が壊れていくときに立ち会ったことで、
心に刻まれた感性が、
人々の心に残る詩を創り出したとしたなら、
智恵子は、芸術の頂を求めるものにとって、
まさに素晴らしい幸運の女神ではなかったかと、私は思うのです。
苦渋の汁を飲み干しながらの頬笑みは貴重なときではないでしょうか。
穏やかな暮らしを営むことだけが良妻といえるのでしょうか。

壊すことで自分を守るしかなかったその人の感性は、
光太郎を触発してやまなかったのではないかと。

肉体を消し、そうして智恵子は光太郎の芸術に溶け合い、
その女(ひと)の求めたものを作り出せたのではと。

個人的な嗜好を申せば、
私は、そうした形の愛もまた、
ほんとうに素敵だと感じ入るのです。

(たまには、不得手なことにも挑戦してみたいと、
個人的な私見を述べさせていただきました。汗)


Res:いくママ 題名:最高のパートナー 投稿日 : 2004年1月5日<月>05時02分

葉子さま あけましておめでとうございます。こちらでは同じくはじめまして。よろしくお願いします。

葉子さまの書かれたものを拝見できてうれしい限りです。
最初から、頷いてばかりでした。そのとおりだと思います。

悪妻と呼ばれようが、高村光太郎にとっては最高のパートナーで
高村光太郎と智恵子は、芸術家としてお互いを触発できる最高のカップルだったのだろう、と思います。短いのですが、考えがまとまり次第、次回に続きます・・失礼しました。

 

ご挨拶

田中暁光庵 投稿日:200411<>0756

 


新年あけましいておめでとうございます
本年も宜しくお願いいたします

2004年元旦
        暁光庵


 

Res:冠蛙 題名:明けましておめでとう御座います 投稿日 : 2004年1月2日<金>01時16分

田中暁光庵さま 新年早々拙サイトにおいで下さいまして誠にあり難く厚く
御礼申し上げます。
旧年中は、本サイトを盛り上げて戴きまして有難うございました。なお本年
は昨年以上に私をおたすけ戴きますよう伏してお願い申し上げます。


 

Res:いくママ 題名:あけましておめでとうございます。 投稿日 : 2004年1月2日<金>08時35分

あけましておめでとうございます。
田中さま 冠蛙さま 今年もよろしくお願いいたします。
田中さまのコーナーで安易な文を書くと怒られそうですのですが(笑)、
今年もよろしくお願いいたします。
冠蛙さまの楽しい文章を一読者として今年も楽しみにしております。
今年もよろしくお願いいたします。


 

Res:田中暁光庵 投稿日 : 2004年1月3日<土>07時33分

age


Res:いくママ 題名:あと11ヶ月間で。 投稿日 : 2004年1月3日<土>14時33分

age・・英語?それともローマ字でしょうか?
・・それはさておいて、下の記事を見れば、ここは今年の11月までとのこと。
あと11ヶ月ということですね。ずうずうしいのですが、あと11ヶ月ここの何箇所かのコーナーにおじゃまさせていただき、文章力などをいくらか身につけたいと考えておりますので、よろしくお願いいたします。


 

Res:暁光庵 題名:ager 投稿日 : 2004年1月4日<日>14時27分

age

 

課題について

いくママ 投稿日:2003年12月31日<水>20時04分


時間の関係で早足で申し上げます。
 解り易く、リズム感あり、美しい文章は幾らでも書くことができるとのこと、
書くことができる。書くことができればいいけれど、書くことができるでしょうか。
書くことをあきらめなければ、書くことができるでしょうか?書けるようになりたいものです。

 

ここは・・

いくママ 投稿日:2003年12月14日<日>03時56分/いなか/性別不明/年齢不詳


ここは愛と平和をテーマに語る場所ですか?
う〜ん いいことだと思います。これは実践だと思います。


 

Res田中暁光庵 題名:平和。愛。恵。です 投稿日 : 2003年12月14日<日>13時52分

もうひとつ,恵がこちらのトピックのテーマです。
つまり「平和。愛。恵」です。
これらの単語は詩のテーマであり原点ではないでしょうか?
あなたの言われるように、是は実践です。
人類のなかには、いろんな種族がいます。
叉、いろんなイデオロギーを持った人々がいます。
それら人々との共栄共存もなかなか難しいところもあります。
ですから、あなたのおしゃるように実践でしょう。


Res:いくママ 題名:そんな詩書きたいです 投稿日 : 2003年12月14日<日>14時41分/いなか

そんな詩書きたいと思っています。そんな詩を書くにはそんな気持ちにならないと書けない、と日頃思っています。というか、今改めて思いました。
http://www.h6.dion.ne.jp/~cafetime/index.html


Res:いくママ 投稿日 : 2003年12月14日<日>22時35分

恵は 人から恵んでもらうというよりは自分で何をあげれるか、がその人の恵で、宝で、形がなくても人にあげれるものが多いほど恵まれているものだ、と思います。それから、同じ環境でも恵まれている、と感じれるかどうか、感謝のような気持ちを持てるかが、恵かどうかの分かれ目になるのだと、思います。・・と、まじめに書いてよかったですよね。


 

Res:田中暁光庵 題名:詩のテーゼとして 投稿日 : 2003年12月15日<月>21時09分

で。
確かに貴女のおっしゃる事も一理あります。
しかし。小生のテーゼとしているのは、貴女の言われる処のスパンだけじゃなく、もっと長いスパンで唱えているのです。

小生の唱えている、平和、愛、恵は、もっと大きなキャパシティで言っているのですが・・・
平和及び愛を解訳していると非常に長文になるので端折らせてもらいます。
で。
「恵」なんですけれど、
自然の恵。経済の恵。精神の恵と幾多あります。
それらをグローバルに、小生は常に「恵」と云うボキャブラリーで表現しています。
それら、自然や経済、精神を掘り下げてゆくと書ききれぬ程の長文になってしまいますので、申し訳ございませんが、ここで、筆を落とさせて下さい。

 

われの好きなようにやってみい!!

冠蛙 投稿日:2003127<>0634

 


当分 われの好きなようにやってみい!!

ほいでもって われの「平和・愛・恵」で 蛙をすくってみい!!

ええか すくうゆうても 金魚すくいじゃないど わかっとるんか?

わかっとる?? 蛙はすくうもんじゃない? つるもんじゃ??

われは いつも 一言多いんじゃ わかっとんか おのれは!!

まあ ええ。ほんじゃ 寝る。われがゆうたように 冬眠しちゃろう。


 

Res:デスかも? 題名:救うもなにも 投稿日 : 2003年12月7日<日>09時54分

おれにはわけがわからん。まあ機嫌直せよ。田中はんの一言多いのは
今に始まったことじゃないぞ。


 

Res:冠蛙 題名:よう来てくれた デス 投稿日 : 2003年12月7日<日>14時20分

デス 聞いてくれ。ええか おれが 親衛隊やってたときには 命がけで隊長を
守ってきた。デスは よく知ってるよな。でだな・・おれは今 冠をかずいちょる。
冠蛙じゃ・・偉いんじゃ。偉い役はだいたいカワリバンコにするもんじゃ。
ところがどうじゃ、暁光庵は おれが蛙だと思って馬鹿にしよる。それで、頭に
きとんじゃ。デス。暁光庵におれをもっとタテルように、特に口のききかたに注意
するように頼んでくれ。井の中の蛙帝國の大王として尊敬してるふりをするよう
頼んでくれ。それから、この掲示板の書き込み生涯続けるよう頼んでくれ。「俗と
仙」は特に人気のでそうな書き込みじゃ。デス、宣伝も頼んだぞ。


 

Res:田中暁光庵 題名:謝罪 投稿日 : 2003年12月7日<日>17時21分

そもそも、蛙氏が提示した6ッのテーゼのうち第一番目の、
★詩作品は作者と関連付けて鑑賞すべきか、それとも個々の作品は作者自身とは切り離して鑑賞すべきか。
の、ところから話がこんがらがってしまっているようである。
僕は貴殿が蛙と云うなんとなく親しげなハンドル・ネームで登場したので、つい、軽口を叩いてしまった。この件に関してはおわびする。
小生の書き込みが貴殿を不愉快にさせたことを陳謝いたします。
よって、『平和。愛。恵』のトピックはあまり目立たないレイアウトで掲示していただけまいか。お願いいたします。


 

Res:冠蛙 題名:よしゃ わかった 投稿日 : 2003年12月7日<日>23時20分

全てを水に流そう。
某サイトのレビューでやっておられたようなご活躍を期待しています。
元に戻す程度でいいのかな?
おれは派手なほうがどちらかというと好きなんだけどなあ。
まあ 貴殿は シンプルがすきだからなあ まあ 努力してみます。


 

Res冠蛙 題名:感謝!! 投稿日 : 2003年12月7日<日>23時21分

デスちゃん 有難う!!
感謝!!!!!!! 


 

Res:デスかも? 題名:シェイクハンド 投稿日 : 2003年12月8日<月>03時05分

>田中暁光庵と明確なビジョンと豊かな感性をもって『詩』の光明を醸し出そう
・・・これって笑っちまったぜ。まさか、蛙くんが嫌味などいうはずもないしな。
宣伝っていったって、おれ友達すくないんだもん。ぐすっ
誤った日本語を正す会ってのはどうだろう。ほら、ファミレス行くとおタバコの方
吸われますか。とか、注文繰り返すとき何々でよろしいですか。あと、1万円から
お預かりします。なんか違和感あるんだよね。詩人だったらそのへんどうよ?
言葉だぜ?言葉。

 

ちょいと、よく理解できないけれど

田中暁光庵 投稿日:2003127<>0936

 


一体、なにを怒っているのだ蛙?
君にはジョークとか駄洒落すら認めて貰えないのだろうか?
それに君が提出した「詩」に関する6ッの質問はどこに行ってしまったのだ?
それじゃ他の人に迷惑だ。
君の気に食わないのなら小生は降ろして貰って、こちらのサイトへの出入り禁止にしてもらってもいいのだよ。
言い訳がましいけれど、こちらのサイトをもっと楽しく盛り上げようと思っただけなのだから、別に君に嫌味なぞ、てんで持っていないのを解って欲しい。
そう云うことで、こちらはあなたのサイトなのだから当然好きなようにしてもらっていっこうに構わないが、
貴殿が少々怒っているようなので、謝っておく。
で、で小生の出入り禁止はそちらで決めて下さい。生涯書き込みはしません。
あんまり良く訳が解らないけれど、従いましょう。

 

独立独歩推進会

田中暁光庵 投稿日:2003124<>0743

 


いや・・・蛙も気が早いなぁ。
平和。愛。恵。のフレーズを書き込んだのは、確か昨日のはず。
で今日、サイトを開いてみたら、この有様だ。
小生にも一言ぐらい声を掛けて欲しかったなぁ。
しかし、である。この3ッの言葉に含蓄された意味合いは、『詩』の源流であることには違いない。

>そんなわけで、このサイトは空っぽを許容する者だけに限って、発言してもらうサイトといたしました。
▼処で、何を拗ねているの蛙ちゃん>(笑い
何?道端をゆくアリさんを見ていただけなの?

処で、以下、冬眠に入ろうとする蛙が提出したテーゼなんだけれど、
グローバルに思考することによって、以下、の質疑も自然に氷解して来るものだとおもうのです。

◆詩作品は作者と関連付けて鑑賞すべきか、それとも個々の作品は作者自身とは切り離して鑑賞すべきか。
◆日本語の詩を翻訳することにどんな意義があるのだろうか。また、外国語を日本語に訳し鑑賞することの意義は。そもそも詩を翻訳することなど可能なのだろうか。もし、不可能をしりつつそれをするなら、その意義は何か。
◆詩の長短には何か意味があるのかどうか。
◆詩にも賞味期限があるのか。あるとしたらどんな場合か。
◆詩において造語は許されるや否や。許されるとしたらどんな場合か。
◆詩におけるリズムの意義は何か。

以上の問答をグローバルな視点に立って解読してみたいと思います

 

下記ログから掲示板が独歩しました

独立推進委員会 投稿日:2003124<>0421

 


・・・ごもっとも
田中暁光庵 投稿日:2003年12月3日<水>22時57分

珠子さま。
あなたの質疑、大変よくわかり、納得ゆくものです。確かに蛙の云う質問とは何のための問題かも釈然としません。
啓発的であるけれども、問題を解き放とうと云う本意すら持っていないようです。(こういうのは、スケベーだけれどもインポテンツといいます)たとえば、第1回、2回、3回と、詩作賞を募集しましたけれど、それに対しての第3回の借金賞などは、所詮遊びやないか、と記せば遊びなのだけれど、伊三様においては、はっきり言って侮辱的なものです・・・。それを迫さんは解っているのでしょうか。
ただ、インターネットだから、顔が見えないから、適当でいいや、というような半端な気持ちでやっておられるのと違いますか。
そこのところ、誰も讒言するものが居りません。また、讒言啓発したところで、残念ながら啓発するなら、他のサイトへ行って、新しいサイトで、いろんなところで話し合う、という場面も想定できるわけです。要するに、小生思うのは、迫さんの場合、小笹とか獄川のり血とか、ムサコとか、常にハンドルネームを変えておられます。これは、はっきり言って、自分が無いに等しいので、それなりのポリシーもない。今回、小生も面白がって、少々名前を変えてみたんですが、あまりいい気分ではありませんね。
話を元に戻せば、珠子さまの言うように、こちらのサイトでは、最終的なビジョンがありません。若しくは、見出せないのかもしれません。それはやはり、それをリードしてゆく迫さんが、ビジョンや感性に欠けているからかもしれません。きついことを言うようで申し訳ございません。
珠子さまのように、大まかにおふざけなところがあるようだけれど、芯に真面目に取り組んでおられる方も居られると思います。
長ったらしく論議を繰り返すのは、小生の好きなところでは無いので、結論を言いますと、三つの合言葉になります。それは、イラク戦争や諸々の世界的紛争においても言える世界の平和、そしてグローバルな世界萬人への愛、そして萬人への恵です。つまり合言葉は『平和・愛・恵』です。これを最終目標とし、皆で議論していってはいかがでしょう。そうすれば、『詩』というものの、ひとつの光明が出てくるように思います。(笑)


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Res:冠蛙 題名:流石でございます 投稿日 : 2003年12月4日<木>04時10分

本日 戴冠式がございまして、ようやくこのサイト(井の中の蛙帝國)の王として
認証されると同時に戴冠賜りました。

♪ おまえ下戸下戸下戸蛙 おれはセラセラケセラセラ 
                  〜♪ 先のことなどわからない〜♪
というわけでございます。

流石 元中高年愚連隊隊長 色即是空・・わたしの空っぽをお見通し・・

そんなわけで、このサイトは空っぽを許容する者だけに限って、発言してもらう
サイトといたしました。

田中暁光庵さまの理想のサイトは別に設けましたので、そちらで大いに語って
下さい。当サイトの宣伝等は貴殿に一切お任せいたしますので、よろしくお願
いいたします。
なお、老婆心はあり難いのですが、伊三さまと僕はある信頼できるサイトであ
る一定のアイデンティティーをもっての付き合いであり、僕が伊三さまを敬愛
している気持ちは、以心伝心であると思っております。
珠子さま、萌黄さまに対してもある意味で同種の念を抱いている上での発言及
び行動をとっているつもりです。もっとも、少しやりすぎることはあるのです
が、僕たちの愛情はそんなことで崩壊するほど脆くはないはずです。
デスさまなどは、そのことを承知なので、どこかで笑って見ておられることで
しょう。
                              以上。