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5.賭[2]
                                



合法だとか不道徳だとか或はそうでないとか言っても、意識的になされる賭はたかが知れている。怖いのは無意識に行われている賭、即ち日常そのものだ。人間は相場に譬えれば、所謂ざら場にいつも立たされている。好むと好まざるとに拘わらずだ。どんな些細なことにでも賭は知らず知らずになされている。そんな日常の行動が、ある時、その結果によってそれが大きな賭だったことを知らされる。そんな賭ほど怖いものはない。 中学時代の恩師は、生徒が学校をさぼっても正面から叱ることが出来なかった。何故なら、先生は自らの中学時代のある日、母親の言を聞いて学校を休んだことがあるからだ。ただ、母親が胸騒ぎがするというだけの理由で、息子に学校を休ませたのだ。その日に原爆が落ちた。先生はその為に命を救われたのだ。 自分がいつもざら場に立たされているという事実をもっと意識しなければならない。これは自戒だ。もっとも、上述した例のように、自分ではその結果を予想し難い事の方が多いのだろうが、無意識にあまりにも無意識に行ってきた賭に対する反省はしなければならないだろう。学生時代、そんなことに関しての哲学書に目を通したことはあった。されど、如何せん凡夫、今更ながらではあるのだが。


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