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9.いじめ[2] 題を見たら「いじめ」だった
                                



「父さんはいじめる側の生徒だったかもしれないが、僕はいじめられる側の生徒だった。」・・から、息子の感想は始まった。曰わく「いじめなどどこにもなかったんだ。いじめはある日突然出来たんだ。」確かにそのようだ。ある日一人の中学生の自殺と同時に、突然校庭のド真ん中に一つのパッケージが現れた。そのパッケージには本人の字で「いじめ」と書かれていた。パッケージにかかっている紐は堅く結ばれ、それはやたら重い。やっとの思いでこじ開けても、それがパンドラの箱なのか玉手箱なのか舌切り雀の葛籠なのかさえも容易には判断出来ない。・・そのような事件なのかもしれない。つまり、一人の中学生の自殺がなければ、日常様々な事が起こったという事実はあっても、それは「いじめ」として命名されることはなかったはずだ。一言に「いじめ」と言ってもいじめる側、いじめられる側という明確な基準はなく、それは全て主観に基づいてお互いが判断する行為であり、客観性などあり得ようはずがないのだ。事実、今回の事件の場合、いじめ教師(敢えてそう呼べば)は教員仲間からも生徒からも少なからぬ評価を受けているではないか。(リーダーシップとは何か。ユーモアの源泉は何か等)これらをどう見るのか。また事件が発生する前に家族の家族としての役割は本当に十分になされたのか。先ず、本当に検証されなければならないものが何なのかを明確にしなければ、たとえパッケージを開くことが出来たとしても、煙になって舞い上がってしまうのがオチだろう。

  ※ この記事はずいぶん古いです。多分、2006年秋頃に起きた事件について書き留めたものです。


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