「忌中」

 

 

 

ひっそりと静まりかえった

 

路地の突当りの

 

小さな家の小さな門に

 

粛然とした真白い一枚の紙が

 

張りつけてあります

 

その上の真黒い墨字

 

「忌中」

 

 

さようなら!

 

またきてね!

 

ガラス戸を通して

 

甲高い少年の声が聞えます

 

仲のいい従妹との別れなのでしょうか?

 

一段と大きな声で

 

最後のさようなら

 

・ ・・・・・・・・・・・・

 

沈黙の中から

 

しんみりと

 

雨の音だけが聞えてきます

 

陰鬱に湿りきった梅雨の音です

 

少年の心の奥底では

 

また来てね!

 

また会おう!と

 

何度も繰返し叫んでいるのです

 

でも

 

それは声にはなりません

 

純真な

 

健気で無邪気な

 

少年の真の願いは

 

無響の叫哭にしかならないのです

 

きっと

 

少年の目蓋には

 

寂念に満ちた涙のつぶが

 

たった一滴

 

悲しく滲んでいることでしょう

 

きっと

 

それは

 

死者との別れに流した涙よりも

 

もっと もっと

 

熱い涙かもしれません

 

そして

 

その叫哭と別涙を

 

異次元の世界から優しく微笑んでいる人

 

涙をもって応えている人

 

それは死者なのです

 

 

ひっそり静まりかえった

 

路地の突当りの

 

小さな家の小さな門に

 

粛然とした真白い一枚の紙が

 

張りつけてあります

 

その上の真黒い墨字

 

「忌中」

 

 

居間からにぎやかな笑い声が

 

聞えてきます

 

まるで

 

久しぶりの親族一同の対面の喜びだけが

 

一族を取巻いているようです

 

そうです

 

会食ではなく会弔なのです

 

でも

 

聞えてくるのは

 

和やかな笑い声だけ

 

葬儀は終ったのでしょうか?

 

 

人は悲しみを喜びで消し去ることが

 

出来るのでしょうか?

 

いいえ

 

出来るはずがありません

 

では

 

あの愉快な笑い声は

 

偽りなのでしょうか?

 

いいえ

 

決して偽りではありません

 

真実なのです

 

喜び

 

笑い

 

それは風前の燈火なのです

 

永遠の悲願なのです

 

悲しみの神が

 

もう

 

足もとまでやって来ているのです

 

 

人はみんなで

 

一緒に悲しむことは出来ないのです

 

人がもつ悲しみの色は

 

それぞれ異うのです

 

思い出の色が異うのです

 

人はいつも

 

独りでしか泣けないのです

 

自分の涙を流すためには

 

悲辛の涙!

 

悲涼の咽び!

 

ああ!

 

悲しみの共通の表現!

 

言葉?!

 

ああ!

 

それは笑いなのだ!

 

笑嘘なのだ!

 

響きわたる悲しみの笑いが

 

死者の門出を激励しているのです

 

生者の悲摧を砕破しようとしているのです

 

死者と生者は一心同体なのです

 

 

ひっそりと静まりかえった

 

路地の突当りの

 

小さな家の小さな門に

 

粛然とした真白い一枚の紙が

 

張りつけてあります

 

その上の真黒い墨字

 

「忌中」

 

 

それは

 

人の世の

 

"死"の神秘を

 

そして

 

"生"の神秘を語りかけるのです

 

 

路地は暗く淋しい

 

 

ギターと木魚の音に合わせて響き渡る

 

浪花節調の読経

 

居間では

 

お通夜とも酒盛りともつかぬ奇妙な行事が

 

もう酣闌なのです

 

 

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